ホリエモンがいう「人の生き方」に激しく同感。生物とは本来寂しい生きものなのだ。

人の生き方

ほぼ全文コピーですが、激しく同感!!

 はっきりと無視する、スルーを決めている場合もある。自分で工夫や努力をしなかったり、出すべき成果を出せていなかったりするヤツのSOSだ。顔見知りでも、切るときはあっさりと切る。羽振りのいいときは調子良くて、景気が悪いと途端にすがってくるヤツ、もしくは、できないと決めつけて、何の工夫もしないヤツは大嫌いだ。

仮に、本当に能力が低くても構わない。でも、その能力で最大限できること、最低限の利益を自分にも周りにも還元できる工夫をしている人を、私は評価したい。長年、私の周りで成功し続けている知り合いは、そういう人たちばかりだ。

人は、人のために生きているのではない。人のために尽くすことで、能力が増幅することはあるだろうが、それが目的になった途端、「自己犠牲」とか「共倒れ」が、美しいものに変わる。

人は常に、自分のやりたいことのために生きるべきだ。何をしたいのか、どこに行きたいのか、何が好きなのか。自分自身に深く問い続け、そのために必要な実践を大胆に繰り返していくことで、人生は真に豊かになっていく。

相手に尽くすことはビジネスでは重要だと思っているが、なれ合いとは違う。なれ合うために与えるのではなく、目的を持った者同士が目的を達成するために与え合うのだ。誰かに寄りかかるのではなく、自分の足できちんと立つこと。自分の足で立っている者同士が、目的のためにつながる。そんなウェットではない、ドライな関係が私には心地いい。

困ったときは周りに相談し、助けを求めてもいい。だが寄りかかってばかりの人は、自分が一方的に受け取ろうとして、自分からは何も相手に与えようとしない人が目立つ。その場だけ一時的に助けても、解決にはならない。なぜカネに困っているのか、なぜ苦しいのか、根本的な解決方法は何なのか。自分でそれらの問いの解答を見つけてもらわないと意味がないのだ。

仲間の助けは、自立するプロセスの邪魔になるケースだってある。突き放すのは、優しさでもあると考えている。自立している人が目的のためにパートナーシップを組んで、お互いのために尽くす。これが理想だというスタンスで、私は一貫している。

苦境にある仲間を無条件で救いだすよりも先に、自分で解決する示唆を与えたり、あえて厳しく接したりすることも、仲間の大事な役目だ。シェアすべきは、苦しみではない。喜びや感動、自己の成長であるべきだろう。

堀江貴文氏 「デキないヤツを助けていると共倒れする」
http://blogos.com/article/236616/

人間とは「ひとりで生きる生きもの」であるということだ。「ひとりで生きる生きものが、協力して生きる」ということだ。それを「みんなで仲良くすることが生きることだ!」と思うこむことが期待(:裏切り)や依存を生み、無責任を生むのだとおもう。

だからできることは、「今できることを最大限にやりきる」。そして「共に生きる」。

ただ、それだけしかないのであろう。

「デキないやつ」の定義

dekinaiyatsu記事ランキングのタイトルが「デキないやつは切れ」と釣り気味に書いてますが…。人によってはこの「デキないやつ」発言に苛立ちを覚える人もいるんだろうな。

ホリエモンは「デキないやつ」の定義を明記しています。

 

 

仮に、本当に能力が低くても構わない。でも、その能力で最大限できること、最低限の利益を自分にも周りにも還元できる工夫をしている人を、私は評価したい

デキる、デキないは能力の問題ではない。ここも激しく同感。あえて一言、私的に付け加えるなら、

仮に、今は本当に能力が低くても構わない。でも、その能力で最大限できること、最低限の利益を自分にも周りにも還元できる工夫をしている人を、私は評価したい。

低い能力に甘んじ続けることも、私自身は避けたいと思っている。