みんながお金を手放すってのはどうだろう。

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貧乏人の考えなのかもしれないけれど、みんながお金ってものを手放すという考えはどうだろうか。

お金(現金)が不要なこのご時世

このブログでまだ書けていないのだけど、もともとこのブログを書き出したのは、お金(現金)というものがなくなってきたこの時代。今はお金の代わりが「信用」だったりするわけですが、そうなってくるとホントにお金が必要なのか?「その人の価値」と「その人の価値」を交換することはできないのかな?と思ったのがきっかけでした。

昔風に言うと、物々交換ですよね。

今、日本を覆っている根底にあるものは「不安」です。

私の場合は「将来の不安」「税金も高くなり収入も上がらなくなり、年金ももらえない将来に対して」「若者が高齢者を支える仕組みに対して」・・・要はお金ですよね。お金がないとサービスも受けられない。食べ物だって買えない。

でもみーーーんながお金というものを手放したらどうでしょう。

お金関係なく「私は野菜を作る」「私は牛を育てる」「私は勉強を教える」「私は便利なものを作る」ただやりたいからやる。

代わりに物々交換でも良いし、価値価値交換でも良いし、何でもいいんですけど。必要最小限の欲しいものを手に入れるための交換所と仕組みがあればいいってことですよね。

人が多様化しすぎたから、みんなほしいものが同じではない。だからこんなにも色々なものが存在しますが、”最小限に生きる”場合に必要なものって限られてきますよね。それらを分担して作ればいいかな。

モノがこんなにもなければどうなのか?

もしもこんなにたくさんのモノ・・・例えば服や食べ物がなければ、ある意味わたしたちは幸せかもしれません。

朝に何を着るか迷わなくて済むし、何を着たらどう思われるかを気にしなくてもいい。健康についてあれがいい、これはダメだと悩むこともなくなる。

便利な便利なスマートフォンが無くなれば・・・人との交流はある意味、今より密ではなくなるかもしれないけど、他人が何をやっているかと気にしなくていいし(知らなくていいし)、月のデータ量が何Gまでしかダメだとか、あそこまで行くのにどの道が一番早いかとか、他人はあそこまでやってるのに私はまだまだ全然だわ・・・とか気にしなくて済む。

それだけでどれほど解放されるのだろうかと考えると・・・。

もっともっとちっちゃく生きてもいいんじゃないか。

ある種逃げの考えって言われても仕方ない浅はかな考えな気もしますが、そういうことも想像してみるのに罪はない。価値観を変えられるのかどうかを考えてみる。

今なぜそれができないのか

やはり「常識から外れる」「変な目で見られる」ことの恐怖ですね。目立ちたくない。今のままが一番楽だと思い込んでいる私がいる。

そして結局「何のために物を買うのか」「何のためにサービスを受けるのか」それはすなわち「何のためにお金が必要なのか。」そこにいきつきますね。

今身の回りにあるものを眺めると、「お金を稼ぐためのもの」と「自分を表現するためのもの」が大半です。後者は勇気さえ出せば捨てられるかもしれません。前者はやはり「お金が必要」だという不安をいかにしてぬぐえるかということなのかなぁ。

あとはお金が不要となった場合、自分は人に、お金の代わりに何を与えられるのかということです。それは「何がいいかな」と考えるのではなく「自分のことを詳しく知る」っていうところにキーワードがありそうだ。

でも少なくとも、「お金」ではなく助け合える家族・友人・周りの人との関係って本当に大事だと思うし、自分が逆に求められたときに応えられる状態でありたいなぁと思う。