インターネット時代こそ、の集落(小さなグループ)思考

知らない人や理解できない人に対する人間の本能

昔は村、もしくは集落と言われるものだった生活範囲が、インターネットの出現によって、簡単に世界規模へとなっています。本人に自覚はなくとも(自覚はあっても想像している以上に)その世界観はとても広くなっています。

多くの人がいることで、様々な意見があり、様々な意見があるからこそ人は向上し成長します。しかし、たくさんの人がいる(様々な思考がある)からこそ、揉めたり、比較したり、差別したりといったことも発生します。これらの良くないことは、やはり相手が「知らない人」「理解できない人」に対して起こる「人間」という生物の弱い部分(本能?)だと思います。

集落が県にまで広がれば、当然のことですが知らない人や理解できない人は増えます。今はまだ「性善説」であったり、いわゆる「日本人の人の良さ」から、人を信じるという前提にたっていることで、知らない人との関係は成り立っています。

しかしご存知の通り、今世界では排他的思考が蔓延しつつあります。しかも「自分と違う人を排除する」ことを恥とも思わない。もしこれが性善説にとって変わると、広い広い世界、どころか国レベル、県レベルでも、知らない人に対して理由もなく拒絶したり、不信感を持ったり、排除したりということが普通に起こります。

それを考えると、単純には「知っている(価値観の合う)人間」でグループを作ると安心な環境を作ることができると考えます。

 

規模感は数人がいいのか数十人がいいのか数百人がいいのかは今のところわかりませんが、価値観をベースに繋がることで、役割をうまく分け、必要なものを必要な分だけ生産し生きていく。存在が承認されることでムダな消費をしなくてすむ。比較したり、競い合ったり、差別したりせず、「自分にとって必要」

これじゃぁ本気で「村」に逆戻りじゃん!と思いますが、違いは価値観で繋がること。グループと言ってもネット時代ですから、近くに住む必要はないということ。

特に重要なのは、他の価値観も認めながら生きていくこと。他の価値観を排除するのではなく、取り入れながら変化することを良しとすること。

例え価値観に変化があり、グループを出ていくことになっても、それは祝福すべきことであると理解できる思考がない限り、この集落思考はうまくいきません。

常に自分で考えて判断し、選び、責任を持つこと。価値観が近いからと、他人に依存する思考では、何事もうまくいかない、それは価値観で繋がる以前の話です。この点について、日本人はもう少し若いうちから学ぶ必要があるのかもしれませんね。