「消費をやめる」平川克美ー消費について考え直すチャンス

syouhiwoyameru

「消費をやめる」平川克美 を読んで

簡単に言うと、現代の「消費社会」の成り立ちをわかりやすく説明してくれている。

  • 「生きること」が「労働」だった時代から「消費すること」に変わった
  • 消費すること(より良い食事をし、より良い服を着る、人より消費すること)が善となった
  • 相対安定期に週休二日が導入され、休みのうちの1日は「遊ぶに行く(消費する)」日となった
  • 遊ぶ(消費の)ために働くようになった=「xxをしたいから¥xxxx必要だ」という発想に変わる
  • 縮小する日本で右肩上がりの成長(消費)を実現するために、マーケットが細分化される(1家族単位だった消費が個人単位となる)
  • 個々が個人化しすることで自由(血族や地に縛られない)となり「しがらみのない地」で生きる人が多くなった
  • しがらみのない地では自分のことを知ってくれる人は誰もおらず、「消費(したもの)」で自分らしさを表現する(自分に特徴を付ける)ようになる
  • そんな人間に企業はありとあらゆる手法(いわゆるマーケティングと言われているもの)で、本当に必要ではないものまで売りつけてくるようになり、不要な消費が増える
  • しかし企業が悪いわけではなく、右肩上がりの経済成長を続けるためには消費を細分化し、市場を創造必要がある
  • そしてそんな世の中は、日本人一人一人が望んだ文明の進歩であり、その結果である

簡単にはそんな流れである。

消費の歴史を作り上げてきた考え方は、アメリカの戦略

そして、これらの歴史を作り上げる「消費は善である」「社会は成長し続けるべきである」「グローバリズム」といった考え方や、いわゆる大金を手にし、大きな家に住み、良い服を着、高級食材を食べ、世界を飛び回り・・・といった「成功のイメージ」は、アメリカによる日本衰退のための戦略だったという考え方が書かれている。

日本の経済成長期は、今の日本から見た少し前の中国だったそうだ。ぐんぐんと成長し、いつ日本が追い越されるのかといった恐怖(野蛮さ)さえ感じるエネルギーがあったが、まさに日本がそんな感じだったらしい。そんな日本の成長を止めるために入念に考えられたアメリカの戦略だそうだ。

つまり、「家族観(からくる企業観も含め)」、生まれ育った土地に対する「地縁意識」などの日本の強みの根源となるものを失わさせていったのが「経済成長」「グローバル化」である。

日本人はアメリカやヨーロッパへのあこがれや劣等感から、彼らが口にする「経済成長」「グローバル化」が「正」だと思い込み、同じような仕組み(例えば株式化や規制緩和、成果主義)を導入し必死にくらいついてきた、その結果が今である。

使うために稼ぎ、稼ぐために働く世の中は「買いもの病に侵された社会」

この本には下記のように書かれています。

お金がないと生きていけない社会というのは、働いて稼いだお金がすぐに出ていくようになっており、余ったお金も、欲望を喚起されてどんどん使わせる。そうやって使うために稼ぎ、稼ぐために働くラットレースを延々と続けているような社会は、一見アクティブでイノべーてぃぶな社会であるかのようですが、実際には社会全体が買いもの病に侵された、すべての質的なものを陸ねん量に還元してしまう、人間性の希薄な歪な社会だといわないければいけません。

自分の消費のきっかけや消費サイクルがどうなっているかを知る必要があります。何も考えずに当たり前だと思っていると、知らない間に「買いもの病」に侵されているわけです。私なんて、普通の人よりも消費エネルギーは少ない方だと思っていますが、実はそんなことないのかもしれない。。我が身を振り返ると、見えてくることもあります。

現代の消費社会は自分たちが望んだ結果であるという認識を持つこと

現代の消費(=必要のないものまで欲する、買う)社会は、日本が近代化し、都市化していく中である種当然のことだと書かれています。人間が求めてきたのは「自由と多様性」であり、消費の対象となるものはすべて、それらを実現するためのものでした。

「人間は一度知ってしまったことはなかったことにはできない」
つまり、一度便利さを知ってしまったのに不便にはもそれないということです。実際に、私も、現代の利便性が失われてまで「消費しない」時代に戻りたいかといわれると、それはNOでしょう。

しかし、多くの人が感じている「現代社会の違和感」。良いものだと言われているものを目指しても目指しても、何も良くならない社会の仕組み。豊かさや利便性と引き換えに失った”何か”が、そこにあるということを意識することが大事なのでしょう。その事が「良い」とか「悪い」とかではなく、そして他人事ではなく、自分の中にあるものとして理解すること。そこから何かがスタートするのではないかと思います。

具体的な解決策の一歩として

スペンド・シフト

「買うものを変える」「買う場所を変える」「買う行為に関するあらゆることを変えていく」こと

例えば、ズボンが古くなったとき、それを捨てて新しいズボンを買うのが消費ですが、その行動を変える。新しいズボンの代わりに、継宛てのための布を買う。あるいはそのズボンをリペアして、着物にするのも、一つのスペンド・シフトです。

例えば「着古した感が少しでも出るのが恥ずかしい」「1年で流行りのデザイン変わるからねぇ」といった考えで、ユニクロで、1年ごとに服を買い替えていたとしましょう。1年で破棄されるための服を創るために様々な資源が刈り取られ地球は消費されます。そして私たちはその服を買うためにお金が必要となるため、自分の時間を今まで以上に仕事に充てることになります。

例えば服を自分でリペアできるようになるとすると、1年で買い替えていた洋服は補修するだけでよくなり、服を買うお金は必要なくなり、5時間働いていたのを4時間に減られるようになります。1着買うことで、地球の資源を400g減らしていたものがなくなり、補修に使うための布切れ200gの資源だけで済むようになります。そしてユニクロに落ちていた服代は、近所の小さな布屋さんに落ちるようになる。近所の布屋さんは、顔見知りになれば少しずつあなたのことを知り、気にかけてくれるようになる。

そういったことをし続けることで、地に根差し、資源を守り、無駄な消費のために自分を削るのをやめていくことができる。ユニクロで買った方が総合的には安いだろうし、手間もかかりません。しかし人と関わりながら生きることで安心感を得、感謝し感謝される世界に生きることで、ギスギス暮さなくてすむようになる。これが今の私が理解しているスペンド・シフトで起こるであろう将来像です。

「生きる」とは何かを考える

生存し続けるという意味では、この本にもある通り「飢えなければよい」だけです。しかし人間ですから、幸せになりたい、楽しく生きたい、必要とされたいなどなど、様々な欲求があり「食べられればOK!」というわけにはいきません。難しいことですが、自分にとって「生きる」ことは「何を得ることなのか」を考えることが必要だと思います。

本にはこのようにあります。

そろそろいい加減、お金を使わずに生きている方法を考えるべきです。おカネの代わりに何を手に入れるかを、真剣に考えていかなければならないのです。

そしてそれは、思い込みや一般論といわれるものによって左右されないようにする力(思考)を養っていくことが重要です。それは「思考力」だけではなく「自己承認力」であったり「想像力」だったり、「他人と比較しないこと」などでもあるのでしょう。

「経済成長しない社会」を再設計する

グローバリズムという名の世界全体で基準化された価値観の導入により、いま世界全体は「経済成長することが善だ」といった方向性を向いています。それに一石を投じたのはウルグアイのムヒカ大統領です。

テキストで読みたい方はこちらのサイト

このムヒカ大統領のスピーチを聞いていただき感じ、考えることがファーストステップです。

他にもいろいろ考えられることはありますが・・

とはいえ、なにかと便利な世の中。生まれたときから当たり前だった右肩上がり前提の社会、個を表現するために様々なものを消費するという消費スタイル。私自身もなかなかうまくスペンド・シフトすることはできません。しかし、まずは「意識する」ことから何かが動き出すのは間違いないでしょう。