)) ソーシャル時代における「本当」のコミュニケーションについて少し考えた

最近、TwitterのTLを埋める高広伯彦さんとイケダハヤトさんのやり取り(私は一部しか見ていません。私が見たときは高広さんの一方通行状態でしたが)。その関連のツイート中で、私の目を引くツイートがありました。
“「自分に都合のよい言葉」が届くことがコミュニケーション” @yasuyukima
“自分に心地いいコミュニケーションしかできないのは,コミュニケーションが出来ているとは言わない。 相手が合わせてくれているだけの可能性もあるし,物事の本質が見えているとは言い難い。” @Ikazuchi_maru
確かに、コミュニケーションというのは、同じ意見の人たちが集まって「そうだ、そうだ」ということではありません。様々な意見を持った人たちが集まり、意見を「伝え合う」。そしてお互いに「聞く」こと。しかしそれは結論として「皆が納得する結果に落とし込む」ことではないと考えています。
どうしても「コミュニケーションが成立した」ということを「意見が一致した」と捉えがちです。もしくは「同じ方向(立場?)から話ができた」など(いわゆる現代の「いいね」)。確かにそれも通常のコミュニケーションの一部ではありますが、それだけで終わってしまうと、新しい発見も広がりもありません。
仕事でもプライベートでも、自分の中から何か新しい価値を生み出したい人、人を動かしたいと考える場合は、本当の意味で広く深く、様々な人とコミュニケーションをしなければいけません。そうでなければ、“今”を超えるものは出てこないのです。“今”をたくさんの人に「いいね」されたことは決して、「良いコミュニケーションが生まれた」ことではないのです。
私自身もコミュニケーションがそう得意ではないため、どうしても苦手な人(共通の話題がない人や会話のリズムが合わない人など)とコミュニケーションするのを避ける傾向にあります。しかし、それでは「何か新しいことを生み出す」「誰かを動かす」ことはできないのだと、そんなことを改めて感じた次第です。
しかし、「インターネット上(ソーシャルメディア)で、本来のコミュニケーションをしない」ことは決して悪いことではありません。ネット上のただのサービスですから、自分の好きに使えば良いのです。
そうではなく、私がずっと感じていた最大の問題点は、現在のネット業界におけるソーシャルの流れが、この「コミュニケーションの結果ではない“いいね”の数」や「コミュニケーションの結果ではない”シェア”の数」などをもって情報を支配しようとしている点。これに関しては、とても問題を感じています。